介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『認知症の対応について、過激ではないかという考察をしてみた。テクノロジーを主体としたとらえ方』

認知症の治療について浅く考えてみている。最新のテクノロジーを利用すればいいのである。そういえば老人Zというアニメーションがあったので見てみ見ると楽しいと思う。内容を忘れてしまったので、僕も探してみてみようと思うな。介護の仕事をしているのでそれを見た学生の頃とは違う感覚になると思う。認知症というのは脳の病気と言われている。脳が委縮したり、ある特定の部位の機能が侵されてしまい機能しなくなるという事である。だったら、脳内にそれを補完するように特殊な機械を埋め込んで疑似的に正しく振る舞えるように制御してしまうという恐ろしい考えである。実際にそれが出来るかというとそうではないし、今の技術ではせいぜいVR,ARのゴーグルをつけてそれを補完するという事になるだろう。ただ、認知症である本人にとっての現実をどのように受け取るのか、脳内に発生している現象をどうやって技術的に担保するのかという課題が残る。脳はを読み取って言語化したり映像化すればいいとはおもうが、今のデバイスではコードがいっぱいありすぎて生活なんてできたもんじゃない。認知症であればそんなもの外すに決まっている。読み取る手段としてはやはり、発言や行動から読み取るしかないよに思える。あとは、過去にどのような生活をしていたのか、生まれや、性格、家族の歴史、生まれた歴史背景等々色々な要素を考慮したうえで、最適の回答を相手に与えることがいいのではないかと思う。そこでAIにそれらを読み込んでもらって、最適な回答を得たうえで、映像化、言語化、音声、温度などを制御して認知症患者に与えるということで、なかば強制的に元の機能に戻したらどうなるのかという事である。色々とかんがえたが、行動に関して言えばそれで何とかなるかもしれないが。認知症に伴う嚥下や手足の運動機能の低下に対してはどのようにアプローチするのかという課題が残った。好き勝手に考察はしてみたが、テクノロジーが主軸になるよりは生身の人が介在することがとりあえずの解決策だとは思うのである。テクノロジーはあくまでも補完的なものに過ぎないだろう。過激な考察になったが、僕は認知症への対応について世の中で色々なアプローチをしている事は良い流れだと思っているし、僕も何かしらのアプローチを続けたい。