介護士の本音と趣味の話

42歳が考えた、感じた事を書いてます。考えの整理です。参考になれば幸いです。

『AIと工夫でできる時短は本質的なものが異なる。AIは時間の先取り、借りたものは返さなければならない。』

 私は使ったことはありませんが、AIを使った議事録の作成や資料の作成において使ったほうがいいといわれているそうです。介護の記録、プランニングにも使おうという動きもあるらしいです。

 

 果たして本当にその状態が正しいものなのか。本来は時間が掛かる事が瞬時に出来上がって得しているように感じてしまいます。たぶん、それが罠のような気がします。

 

 私もプライベートではAIを使っていますので凄さはわかりますが、時間をかけてAIと対話や自分自身の考えの整理に使っているので、時間が節約されているというよりはAIを使って考えを深めている感じです。(本来は人と話すべきですが。)

 

 AIを使うことは工夫ではなく単なる時間の先取りになる可能性があります。先取りしたものは後から支払わなければならない、クレジットカードと一緒ですね。お金は後から支払わなければならないし、先取りした時間は返さなければならない。そういう契約をしているのではないかと。

 

 今の時代は時間を先取りして、膨大な時間の負債を抱えている状況なのかもしれません。AIの使い方には注意が必要かもしれません。その負債を金銭で返すのか、時間で返すのか、不便で返すのか、誰かの犠牲で返すのか。どんな対価が必要なのか。わからないことだらけです。

 

 時短という言葉に惑わされず本質は何でしょうね。言葉の持つ力は大きすぎますね。

 

『AIの間違った活用』

 コンピューターが仕事を減らしてくれるという話は大昔の夢物語ですね。

今はコンピューターが仕事を増やしているので、仕事をしなくてよくなるといわれていた時代は来ませんでしたね。

 

 今度はAIの時代になりました。「AIを活用して」「AIによる生産性の向上」

それにしても「活用」「生産性の向上」というキラーワードは便利ですね。なんとなく物事をうやむやにできる気がします。

 

 AIは人間の能力を向上させるために活用されるべきで、単純に仕事を早く減らすためだけに活用されるべきではないですね。

 

 「AIを使うと仕事は早く終わるし活用していこう」ということですね。そのためにAIへのプロンプト(命令)の入れ方を学ぶのが流行っています。本当にそれでいいのでしょうか。

 

 本当ならばAIを活用して自分の能力を上げるために使ったほうがいいと感じます。

世の中は楽なほうへ流れて行っているとなんとなく感じます。AIを使う人の本質的な能力を上げるほうがいいでしょうね。そのためにAIを使う。

AIで手軽に済ませられるのはいいですが栄養がない感じです。遠回りに感じますが出来るだけ自分の力でやっていくことが今後の世の中を生き抜くために必要なことだとおもいます。

 

『介護 虐待について理想論よりも現実論が良くしていくはず』

 虐待とはどうして起こるのか。どのようなことが虐待に当たるのかは他の情報を探せばいくらでも出てくるので検索してほしい。虐待について考えてみました。

 

 現場で働いていると虐待なのではというのは結局は個々の判断になるということです。誰かが虐待だと言い始めたらそれが世間の一般になってしまいます。

 

 根本的には人員のいない状況と虐待にならないようにするという状況が起こしていることがほとんどでしょう。

 

 介護者側の認識が低い、研修でどうにかしようという、表面的なことで働く側が結局は圧迫されていきます。

 

 「虐待を起こさない対応→人員が必要」という構造がすっぽりと抜けた状態でどうしろということです。

 

 以前にも考えましたが、発端となることを始めようとするなら理想論ではなく、現実論から物事を展開しないと破綻していくことになります。

 

 現場の人間も考えていないわけではないです、どうにかしたい現状でどうしようもない理想論に圧迫される結果でも虐待はおこります。理想に向けては現実で働いている側も頑張っている。

 

 現場の人間を理想論で追い詰めていじめ無いようにしてもらいたいですね。

 

 言い過ぎだとは思いますが、理想論を展開して虐待の無いことを目指すなら休日やすべての時間を費やして現場に入って仕事にはいる、それくらいの覚悟は必要なのではと思ってしまいます。

 

『AIの活用の本質は空き時間を空き時間としてとっておくこと』

 AIの活用が世の中の課題になっている、ではどうするのがいいのでしょうか。

プレゼンをAIに作らせる、資料をAIに作らせる。議事録をAIに作らせる。

単純にそれだけでよいのか、それでは人はAIから単純に検索するだけの、検索人材になってしまうような気がします。それこそ誰でもできる仕事になってしまいそうです。

 

 結局はAIは補助的なものとして意識することが大切なのだと思います。私自身はAIでのプレゼン作成などはやっていませんので本質はわかりませんが。ただ、AIの作ったプレゼン資料をどこまで伝えきれるかにかかってかと感じます。AIでプレゼンは作れたけどプレゼンの内容にプレゼンターが追い付いてないと意味がないでしょう。

 

 私も日々でAIをつかっています。単純に困ったときにどうするという使い方ではなくて「私は○○をこう考えて、こうとらえている。こう感じた」と考えを整理したいときに使っています。そうすると自分の考えは整理されたり課題もわかるようになります。AIを使った自分との対話ですね。

 

 本来は人同士でやり取りをしていくのが一番ですが、24時間いつでもというのはAIの強みだとおもいます。人それぞれAIの使い方はありますが、単純に検索機能だけだとAIは面白くないと思います。

 

 AIを活用して空いた時間は空いた時間としてとっておくことも大切です。本来は膨大な時間をかけて作る資料です。別のことができると思うと空いた時間に逆に時間を奪われることになります。AIで時間をZip化して圧縮したと考えるといいでしょうし、時間Zipでディスクがパンパンになってしまわないようにしましょう。

 

 AIの生成するデータで多量のデータの保存や保管も今後の課題になるでしょう。

無駄に大容量のデータは生成しなくなるかもしれません。個人や会社のデータ保管費もコストとして意識は必要でしょうね。世界的に保管場所の奪い合いになるかもしれないですね。

 

『信号まち、立ち上がりで体がこわばる。発作性運動誘発性舞踏アテトーゼ(PKC)について』

 自分自身がこの症状であることは、家族を含めてしりません。ここだけの話になります。以前の投稿でも発信しています。

 

 発症を自覚したのは小学生の高学年あたり、11歳くらいだったとおもいます。

徒競走で全力ではしれない、急に動こうとすると体がこわばる状態になることが増えていきました。私の場合は左側の手足ですね、内側に巻き込むような感じで自分の意志では抑制できない状態になります。

 

 次第に信号待ちでの急な歩き出し、椅子からの立ち上がりでも誘発されていきます。

頭や体を準備して『よし、大丈夫だ』と意識してからの行動になるので出遅れてしまいます。

 

 常に悩んでいるわけではないのでそこまで深刻には考えていませんでしたね。ふとした瞬間に『あ、やっちまった』と発作が起こってから嫌になることがありました。

 

 一瞬で遅れてもいいから問題ないようにふるまえるように意識を切り替えるようにしました。それでも意識では制御できないと発作は起こります。

 

 発症の自覚から30年ほどたちますが、今でも起こりそうになりますし、体の左側の奥がむずむずとかゆいというか違和感はあります。40代くらいには起こらなくなるといわれていますが、起こりにくくなるという感じです。

 

 脳と体が長い時間をかけて制御する仕組みにを作り上げた結果だとかんがえています。治療で治るかはわかりません。外科的に脳をいじれば治るかもしれませんが、何が原因かは研究が進んでなさそうです。それなりに生活できてしまいますからね。私のように病院に行かない人のほうが多そうです。隠したくなります。

 

 インターネットで情報を探したのが20年くらい前です。見つけた時には同じような人がいることに安心をおぼえました。当時は唯一の記事でしたからね。

 

薬で抑えるという選択がありますし、若ければやりたいことを思い切りできるほうがいいと思います。おそらくは治らない病気ですが、年を重ねれば薬を飲まなくても制御できるようになるはずなので大丈夫だと思います。

 

インターネットでも情報は得られやすくなっています。どういう選択をするかはそれぞれです。

 

o-san.blogspot.com

 

『介護業界の人材不足は25年前から始まってる』

 介護業界で人員不足であると騒いでいる状況です。根本的に25年前の介護保険が始まってから、それ以前から始まっていたことのように思えます。

 

 根本的な介護への認識がずれていたのかもしれません。本来はもっと時間も手間もかけなければならないことに対して「それなりでやってきてしまった」「やれている」と思わせていたことが原因ではないか。

 

 本来は1時間かけるべきことを30分で終わらせる。つまりやるべきところを端折ってきた(細やかなところ、丁寧さ等)。もちろん介護を適当にやっていたとは言いませんが、見せかけてきたことで人が足りている、十分だろうと誤認されてきたのかもしれません。

 

 実際にはサービス残業、打刻しない早出などの見えないところの時間もつかってきてて人のやさしさに支えられてきているでしょう。まあ、会社としてはそんな時間はなかったことしていると思いますが。残業申請すればいろいろとうるさいので、タイムカードを切ったあとに仕事をしているでしょう。そのほうが、自由に動けるから楽ですけどね。

 

 根本的に足りていると思っている認識を取っ払う必要はあるでしょうね。単発バイト、外国からの労働で補うのは焼け石に水かもしれません。

 

 根本の制度の設計にミスがあって今につながっているように思えるんですよね。

 

『AIの成長は人類の成長に比例する、普及率8割の目標は疑問』

 生成AIの普及を8割にするという驚きの記事を目にした。これが正しい情報なのかはわからないが、どうあっても8割はやりすぎである。

 

 AIの成長の情報源は人間の活動によるものであり、それが8割になればどうなるのか。2割の人間活動のみでAIの成長に使われることになるので一気に成長速度はおそくなるし、どちらかというと人類がどんどんと退行していくことになるでしょう。

 

 企業や世界に向けてのアピールとおもうがやりすぎじゃないか。安易に手に入るものほど警戒すべきだし、よく考えなければならない。

 

 もちろんAIの開発が容易なことだとは言わないが、得られるものが簡単すぎる。人間のもつ考える、思考する能力は衰えてしまうのではないか。

 

 私の考えていることは時代錯誤だし、AIを使っている側としていえることではないけど何かがおかしいと感じずにはいられない。

 

『人を愛することは困難な道を選ぶこと』

 人を愛することは困難な道を選ぶことである。

 

「愛」にはいろいろな形があるでしょう。独占愛、自己愛、無条件の愛、親子愛などいろいろと形があって、一つではなくて人それぞれいろいろと持っているものです。「愛」を認識することも実は難しいことです。

 

「愛」=「好き」は成り立たないですね。どうして私の愛を受け入れてくれないのかと嘆いたり。独占したい。相手を思ったようにコントロールしたい。人は弱いのでどうしてもそう考えたくなります。

 

無条件に人を愛せることが最適な形ではないでしょうか。まずは自分を承認できることから始まり、相手のことを無条件に受け止められること。良い面も悪い面もすべてを含めて愛せることです。

 

ただ、とても難しいし困難なことです。自分自身の心や精神との対話を通して自分自身を知ること繰り返すことで深く人を愛することができるとおもいます。

 

「愛してる?」と聞かれたときに、素直になんの恥ずかしげもなく「愛している」と言えるようになれば「真の愛」なのでしょう。それほどに相手のことを考えて受け入れていることにほかなりません。

 

「愛」は消費していくものです。自分から愛を保てるように努力が必要でしょう。自分を愛して努力することで補充されます。相手から奪うことでしか保てない愛は疲弊することになります。愛の源泉をみつけて、泉の水を枯らさずにすることが大切でしょうね。

 

澄んだ泉を維持すること、源泉を絶やさないこと。そうすれば周りの風景も変わってくるとおもいます。

 

「愛」があるから、相手を信頼し続けられる、待っていられる。そういう関係性を作っていけるといいですね。

 

私の場合は元妻へは「愛」が見つけられなかったのかもしれません。お互いに疲弊していたことが証拠だったし「愛している」と言えませんでした。どうして結婚したんだということになります「好き」で結婚したから。だからうまくいかなかったそんな気がしています。今は離れていますが「情愛」は感じています。いろいろと大変なことがあったけども今はその経験が活きている。そういう「愛」は元妻へ持っています。

 

『AIを使っていないわけではない 自分の考えの壁打ちに使う』

 仕事でのAIの活用にはまだ懐疑的ではありますが。自分の思想や考え哲学的なトレーニングには活用が出来ると思います。

 

 単純に「質問」だけを投げかけて「回答」を得るのではなく。「質問」+「自分の思想」+「自分の行動」などを合わせて投げかける事でより深く自分との対話を深める機会になります。

 

 もちろん生身の人間との対話が考えや思想を深めるための一番の手がかりです。

ただ、多くの人に会う事、話すことのハードルが少し高くなります。人を成長させられるのは人との関わりです。AIとの関わりはきっかけにすぎません。

 

 そのうちにAI(もっと別の名前になるかもですが)にも同じように個性が備わればとは思いますが。AIには肌で感じた、子供の頃から成長してきたという長い時間を経て熟成するという過程が無いので何とも言えませんが。

 

 ドラえもんコロ助のような人間味のあるロボットが出てくると違うでしょうが。人との関わりでは、自分の感情が出やすい、本当の表情、独特の間も無いでしょう。

 

今のAIは社会情勢によって制約が多い、人間は良い悪い含めて制約がありません。それが大きな違いですね。言っていい事とダメな事の境界を肌で実感するなら人との関わりに勝るモノはないですね。

 

『介護業界に必要なのは突発的な人員不足への対策。AI、介護技術、質でもロボットでもないかも』

 介護に関わらずですが突発的な人員の不足が発生します。職員のケガ、病気、家族の不調、突然の退職があります。

 

 結局はそれに耐えうるだけの余剰の人員の設計をしているかに事業の継続がかかっているのではないでしょうか。

 

 突発的な人員不足に対応するのは既存の介護職員の仕事になり、心身への負担が大きくなります。どちらかと言うと心理的な負荷があるでしょう。予定を入れていたが変更を余儀なくされる。

 

 こういう事が繰り替えされれば、結果的に退職と移行してしまう事があるでしょう。

 

 AI、ロボットでは役に立ちません。介護技術、質も後回しになるでしょう。介護を受ける側としても実質的に得られる利益が減ります。人員を満たしているからと、法的な根拠だけで満足していると後々に膨大な負債を抱えることになりますね。

 

 人員は1.5倍で確保したり、土日でも人員は通常と同じにするなど(面会の対応、訪問歯科の対応等々で意外と時間をとるのが現実)大丈夫だろうは大丈夫ではありません。

 

 そういうことは、結構見ないふりをされている、隠れた問題ですね。

連れていくだけでしょ、といっても通常の業務を中断して行う分けなので、それが続けばやるべき事が進まない状態です。

 

 介護業界は質、技術、AI、ロボットなどを考える前に、本当に人の生活を根本的に見直して方向性を見直す時期なのではないかと考えてしまいます。 AIを前提に考えるのではなく、人を前提にしてどうしてもという部分を補助するための技術の活用ですね。技術を前提に考えると、制限が加わる事が多くなります。

 

 人は年を重なれば、色々と不具合がでてきます、それも前提で一番悪くなった状態を想定して、人員の配置も考慮すべきですね。急に状態が悪化した時に余力があっという間になくなります、それを考えられる経営をしている所は優秀だとおもいます。

 

 施設や介護サービスを選ぶ時に参考にするといいと思います。草の根の活動ではありませんが、選ぶ側からの言葉が業界を変えてくれる力にもなると思います。

 

『介護の仕事は言ったもの勝ちなのか?名もなき仕事の妨げにならないか。』

 介護の仕事は言ったもの勝ちである。そう感じてしまう事は多々ある。

「○○さんのは、必ず10時におこなってください」「エプロンをお盆に挟むと虐待です」「待ってくださいもスピーチロックです」等々とあげればきりがないかもしれません。

 

 言ったもの勝ちなのはいいけども、それで自分の首をしめないか、後々に影響を及ぼさないかと、良い面だけでなく、悪い面にも視野を広げる必要があるはずです。(メリット、デメリットという表現は角を丸くしますが、主義が曖昧になるので使いません)

 

 言った側としても、言いっぱなしではなく波及することを念頭に発言をしなければ、業界全体や社会への影響も多大になる事は覚悟する必要があります。昨今はSNSであっという間に情報は拡散します。

 

 ロボットの活用、ITCの活用で人員の代わりをなす、という事はいいですが、使われているか否かに労力を費やすのはどうかという事も疑問になります。使ってもらわないと評価出来ない? 使われていないのが評価という事にもなります。業務ベースでしっかりと組み立ててからであればいいですが、唐突に導入となれば現場は混乱します。

 

 ロボットやICTの機器は入居者に合わせて柔軟に変化はしません、人間は変化に対して強いです。最先端の機器のよさばかりに目を向けるよりは、悪い点に目を向けてから導入するといった、従来とは真逆の思想を持たないとダメかもしれません。

 

 介護の仕事は表面上は小さく見えても、そこには膨大な仕事や気遣いによって支えられてます。名もなき家事のような細かな仕事がほとんどです。

 

 名もなき仕事をこなしている人たちに、言ったもの勝ちの思想を押し付けてしまうのは違うと感じています。

 

 言わなければならない事はあります、命に関わる事、尊厳にかかわる事、人権に関わる事。利用する側、介助する側の双方にとってバランスのよい仕事になっていくといいですね。

 

『介護は着替えを手伝う事 本当に簡単な事だと思いますか?』

 介護技術では更衣があります。普段から朝起きて、寝るまでの間に何回か着替えをしますよね。さて、これは本当に簡単な事でしょうか。

 

 子育経験があれば、お子さんが着替えを習得するのにどれだけの工夫と努力があったかと思い返す人もいると思います。いわゆる、着替える方法を獲得したということです。あくまでも着替える方法です。

 

 では、服選びはどうでしょうか。子供が季節や気温、天候にあったモノを選んでいるわけではないでしょう。子供が「これがいい」といって選択をしている場合もあるかもしれませんが。お母さんお父さんが選ぶのを手伝っている状況でしょう。選択する能力です。

 

 次は、着替えです。正しく上着、ズボンを選んではけるでしょうか。上着の袖に足を通してしまったりしないように選ぶ必要があります。モノを正しく認知することが必要になります。

 

 体の動きはどうでしょうか、手足が自由に動く、服を手に持てる。これでやっと服を着る事ができます。これは普通のことですが、簡単なことなのでしょうか。

 

 着替えだけでもこれだけの複雑な過程を経て、やっと着替えが出来るのです。私たちは何の苦も無く行えるようになっています。人間が人として社会の中で生きていくためには欠かせませんよね。

 

 介護の勉強(看護や医療でも同じことをしているはず)では、体の動きを細かく書いていくことも学びます。書きかた、とらえ方は人それぞれですがとても複雑な過程をへている事がわかります。書き上げていくだけで一日かかりそうです。

 ①椅子にすわる

 ②両手を背中側に回す

 ③上着のすそを両手でつかむ

 ④腕を伸ばしながら上着をまくる

 ⑤上着を頭をとおして脱ぐ

 (以下略)

 

 人が成長の過程で習得した着替えだけでなく他のトイレ、入浴の動作も同じように複雑な事が絡んでいます。誰かの手伝いが無くても出来るということ自体がすごいことなのです。

 

 関節が動きにくい、麻痺がある等の条件の厳しい事が加われば動作の過程はより複雑になります。

 

 普段どれだけ貴重な動作を何気なく行えている事に気が付くと、介護は簡単で誰でも出来るとは言いにくくなるとはおもいますね。

 

 利き腕を動かさずに上着の着替え(脱いだ後に、もう一度着る)の動作を体験してみると良いかもしれません。簡単な事だという考えが少し見直してもらえるとおもいます。

 

 私自身は介護が簡単とはおもっていませんでしたが、ここまで複雑な動作の繰り返しをしてやっと日常生活をおくれている事を知った時は衝撃でした。

 

 健全に生活が出来ている事が何よりも価値があることですし、お金に換算したらとんでもない額になるとおもいます。介護を受けずに生活が出来るのが一番です、介護は生活の当たり前を支えていると社会に認められる事が先決のような気がします。

 

『介護業界に求められているのは変わらない事 変わらない事は簡単じゃない』

 介護業界には質の向上、業務効率化等の色々な変化が求められている、一方で既存の食事、入浴、排泄という基本的なモノの根本の変化は許されない。

 

 周りの変化に合わせて、変化をさせない事にはとても力がいる事である。

 

「変化しない」というのは変わらない努力をしないわけではなく、「変わらないための努力」がいるという事になる。

 

 社会の変化に合わせて、変化させることは比較的簡単な事だとおもいますが、変化させないというのは簡単なようでとても難しい事です。

 

 例えば「変わらない味」を守っていくのには、社会の食材の変化、嗜好の変化、個人の年齢、味覚の変化もあり長い間変わらぬものを守る事は時間も力も想像以上に使うと思います。

 

世間的に「変化に適応している」「技術導入をしている」と大きな声でいわずに、黙々とやる事も大切だとおもいます。 

介護の仕事は簡単ではない、変化しないのではなく変化させない努力を陰でしている事を知ってもらうと、働いている側として嬉しいですね。

 

『作品を吟味してから解説を追うほうが人生豊かになるかもよ』

 私の趣味は「ジブリ関連の映像を見ると」ということで「ジブリアニメ」ではないのです。何ともややこしいですよね。

 ジブリアニメを全部みて「あれがいい」「このキャラクターが特に好き」という事を語る事はしないとおもいます。確かにこんな人間性だと楽しい、憧れるというのはあります。私にとっては「海がきこえる」の「杜埼拓」なのですが。高校時代からの憧れであるが何となく心に残って人生には少なからず影響を受けているとおいます。

 

 最近は動画でも映画の解説も多いですし、絵コンテ付属の月報にも色々な方の解説が乗っています。興味があるので読んでいると「いや、ちょっとまてよ」「これを読んでしまったら、自分で考えた純粋な気持ちが濁ってしまうかも」とパッと動画や本を閉じる事があります。

 

 私にとっては、自分なりに吟味して考える時間も作品と触れ合う時間、考える楽しみです。さて、ここまで触れ合って、「いざ、他の人の考えはどうなのかな」と見るのが楽しいですね。

 

 ジブリ関連のドキュメンタリーを観ていたのか、「ジブリの哲学」で書かれている描写が何となくイメージしやすかったりするのも面白い。

 

 解説動画をきっかけに作品のことを知るのもいいですが。作品を知って吟味してから解説動画や色々なモノを観るのも楽しいですし、生き方や考え方のいい運動にもなるので良いものです。

 

『介護業界で働く側が感じる人材不足の本当の理由 給料の安さは関係ないかも』

介護の仕事は人材不足の解消が課題になっている。

確かに人口減少の日本には避けては通れない課題である。人口が1億人を割ってしまうの近い。出生数は増えず死亡者数がおおいのが現状ですよね。出生数を増やすために色々とやってますよね、子育てしやすい環境等々の整備も頑張っています。

 認知症への対策も本格的に始まってきている、認知症と診断される方が約440万人です。沖縄県の人口が約140万人なので、それくらい多いということですね。

 

 様々な理由で、介護業界にはこれから人材が必要なのに集まらない、定着しないという現状ですね。

 

 まあ、32歳で転職して介護の仕事をしている新参者ですが何とか生き残って仕事をしています。正直、私にとっては前職のIT関連の仕事よりは100倍ましな世界です。

 

 色々な経験を積みたいという表向きの理由で現在は3社目になりますが、業界から離れる予定はないです。裏の理由は人材不足の理由にも通じるかもしれないです。

 

 私の感じる人材不足の理由についてです。一般の会社なら当たり前だよと言われるかもしれないですが、介護は思った以上に様々な人が入ってきます、主婦業が落ち着いたから、簡単な仕事だと思った等と門戸は広めです。これも業界ならではなのかもです。

私の価値観とのズレ、偏見もあります。状況によっても見方が変わってくると思います。私としては業界が良くなる事は願っています。

 

 ■会社ごとに独自のルールが存在するのが面倒に感じる

  前の働いていたところではここまで細かくやってなかったよ事までやっていると、中途で入社した人で業界内での転職だとわずらわしさを感じる事は多いですね。大きな会社になると顕著かもしれません。

 

 ■入浴介助(夜勤明けはデフォルト、決まった曜日、時間での入浴、同性介助じゃないとダメパターン)

  私の感覚はおかしくなっているので、当たり前になっていますが本来はちがいます。それくらい人がいない状況ということです。週2回以上は入浴を行うという規定があるので、これをこなすのにいっぱいいっぱいだったりします。

  週2回の入浴を行う事にいっぱいいっぱいなのに、決まった時間や曜日にしか入れない(要望が強い)要望に合わせなければならないがために、スケジュールが圧迫される。介助でも同性介助推奨なのでしょうが、現実的には難しい。こういう制限も圧迫する要因ですね。

 

 ■転職して入ってみると細かいルールが多すぎた

  前のとにていますが、就職するまでは見えてなかった細かなルール(服薬のしかた、事故報告書、ヒヤリ、移乗の方法、研修が多すぎる等)が多くて嫌になるケース。同じ業界の転職ならチェックしておくと、ミスマッチは避けられれそうですが。新しく介護を始める方にとっては、ハードルになるかもしれません「あ、こんなに面倒なことするの、辞めとこ」となるところは所々にあります。

 

 ■介護技術の○○流みたいなのが多数ありすぎる

  「うちは○○の方法だから」と今までのやり方は通用しない事がある。安全に出来れば何でもいいじゃないかと思っているのできにしていないですが、この方法をやっていないから事故につながったんだと言われそうで変な気を使う必要がある。やり方に納得して受け入れられればいいけど、強要されるのはキツイ人はいると思う。

 

 ■在職年数や職種によるヒエラルキーが存在

  基本的には職種同士の連携をとるという事は上下関係が無い方がいいのですが、どうしても発生してしまいます。意見が合わないと喧嘩に発展してそのまま…あとに残された社員が二次被害を被る形になります。

 

 ■現場の声がとどかず、現状が正しく認識されていない

  これは、経営に関わるので難しいのですが利用するお客様(被保険者)が多い事が経営に直結します。要するに介護保険からの収入が要なのでとにかく利用者や入居者がいないとまずいわけです。経営が厳しいからと無理やり利用者、入居者を増加させれば圧迫されるのは現場です。今は質を求められます。現場の悲鳴は届かない事が多い。

 

 ■家族の対応もサービスの一巻

  もちろん大切なことです。適切なサービスを提供するためには家族との連携もたいせつです。また、認知症の方にとっては家族の存在が欠かせません。介護への理解のある家族は状況もわかっているため協力的な場合がほとんどですが、一部介護を経験したことのない家族の場合はどうしても要求が多くなります。入居者のための時間が家族のための時間になってしまいます。介護福祉士としても家族の支援も含まれますが要望が多いと大変になります。お母さま、お父さまを特別扱いすることで、他の方への時間がとられることになります。入所系の現場では多いと思います。介護付きとはいえ限度があるので、別途料金を取りやすくする制度は必要でしょう。お金がかかるなら断る家族もいると思うので少しはハードルとしての役割にもなる気がします。

 

 ■家族が状況を把握していない(最近でいうカスハラ系)

  施設に入所している方が入院した場合に、こんなはずじゃなかったと言ってくるケースです。そういう方に限って施設側サービスの情報等を知らない事もあります、その説明から入る事があります。家族にとってはせっかく入所していて自分の時間が出来ているのでその時間が奪われる事にもなるので心的なダメージは大きいとは思います。

 

書き出してみると「一般の企業でもおなじじゃない」と思うところや、業界特有のケースがあるがあるんだろうなとか、家族側も状況を知っていなかったり、これから介護を必要となる方への情報提供は足りてないんだろうなとおもいました。まあ、経営側は現場をしらず利用してもらうために良い事だけを並べるので、いざサービスを利用したあとにミスマッチしてしまう事は茶飯事でしょうね。私の認識不足、勉強不足は否めませんが色々と考える事も介護へ向き合う事になると思い考えている事を正直に書かせてもらっています。

 

介護の仕事は家族の生活にも直結します、大切な仕事ですので真剣に考えるべきものだとは考えています。自分なりに誠実に向き合っていけるように努力をしていきたいと思っています。