介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『動画の時代の目指すべきこと。先を見越した行動は大切』

本当にここ数年の動画でのコンテンツの配信数がうなぎのぼりだろう。数か月のドワンゴの苦境については心を痛めているのであるが。ニコニコの創世記と思われる頃から動画との付き合いが始まっている。動画との付き合いはおそらく2003年~2004年頃からだと思う。当時のニコニコ動画への登録については即時というわけではなかったように記憶している。『登録完了をお待ちください』的な感じで数日はまって、やっとサービスを利用できるようになる等流れだったかな。インターネットもそこまで一般大衆には普及していなかったかもしれない。家庭に光なんてなかったし、たしかISDN回線で電話線を利用したサービスがほとんどだったと思う。これについては地域差がかなりあるとは思う。2006年~20010年位になると、動画を使ったコンテンツがでてきているが、フラッシュを使ったゲームだったり映像なんかがたくさん作られた時代だとおもう。動画ではアニメだったり、フラッシュで配信されたものを動画としてみる、大人向けの配信というのがメインだったかもしれない。そこからどんどんと動画の活用が広まり今の時代にいたるのである。あくまでも、その時代を感じたことなので事実とは異なるかもしれないがこういう感覚である。Youtubeもそこまで普及はしていなかっただろうし、ニコニコ動画でも数千回数の再生数で配信者も驚いていたようだった。配信を通して金儲けをという考えというよりは『好きな事、好きなモノ』を個人個人か楽しんでやっていたんじゃないかと思う。ある意味で、お金というよりはコミュニティ、集まりを楽しんでいたんじゃないかと思う。どこの時点かわ定かではないが、お金という概念が動画の配信に組み込まれる事で個人の物からビジネスの物へと変化をしたんだよね。これが良かったのか悪かったという事は無いのかもしれないが、新しい働き方を生み出したといえるだろう。コンテンツの提供は良いものを配信する、誰かが喜ぶという外向きの力が強かったが、今は内向きの力「儲けたい」とういう願望のようなものが散見されているのである。初めは内向きだったけども、外向きに変わればいいのだが、ずっと内向きになってしまっているかもしれない。最近の動画の類をみても同じようなことの2番3番…煎じでもともとの本質的には一緒のことをいっていて、フィルターをかけてい見え方を変えているモノが多い。「可愛い子が説明してくれる方がすき」「いやいや、イケメンしか勝たん」と個人の好みで何を選択するかは個人の判断に任されているが、配信する側にとっては、いかに利益になるかを追及しがちである。そのため、同じようなモノを取り上げた動画が拡散することになる。同じような内容だし無駄だろうという考えになって動画を見る機会が減るだろうとおもう。見ている側も飽きるし、疲れてしまう。今後の動画のコンテンツの普及は上がっているが、自分で選び取って探していくことが大切になっていくんじゃないかと考えているのだ。