分からない人にはわからせればいいという事をふと思ったのである。嫌がらせをすればいい、思い知らせればいいという事ではない。僕はそんなに嫌な人間でないという事を強く協調したいのだ、たぶんね。まあ、この発言はアニメ「ちいかわ」を見てもらって忘れてもらえればいい。
というのも介護の仕事というのは現場の仕事は多岐にわたり、同じ時間に沢山の人を見ているのである。たぶん、看護師、保育士、教師も同じだと想像はしている。あくまでも想像のはんいである。同じ仕事はできないからね、少なくともどんな状況化を想定しようとニュースだったり動画だったりと状況を把握しようと努力はするのである。まあ、申し訳ないのは「常に」そうではない事である。もし、現場の声が管理者に届かないのであれば同じような状況を体感してもらうのが一番ではなかという愚かしい考えである。介護の現場であれば一対一での対応が連続して起こり、日常の業務というのが滞る事は茶飯事で、時間通りに進まなことの方が多いのである。さて、そこで管理者や事務の方に解ってもらうためにどうするのかというと、現場の人間が常に困りごとを直接話に言って相手の時間をお借りするという事である。さて、管理者や事務の方はどうなるのであるか、本来の業務の進みが遅くなるもしくは停滞してしまうのである。スケジュール通りに進まなくなるだろう。そして、進まない事にイライラや怒りを覚えることになるだろう。多くの人を一度に見るというのはそれだけ業務や仕事が蛇行するものである。無理やりにまっすぐにしようとすればどこかに弊害が生まれる、イライラや怒りという反発が出てしまう。人の行動は物理現象にも似ている。ピンと張った糸を緩やかに曲げることはできない、もし曲げたとしてももとに戻ろうとして反発したり、切れてしまうかもしれない。もともと余裕をもって張っていれば、曲げやすいし切れることも稀だろう。物理現象も、人間の心理も似ているように思える。一つの事でも受け止めて考えてみる、そうなのかと考えてみることで少し歩み寄りが出来るのかもしれない。立場が違えば考え方の切り口が違うのである。一緒に砂のお城を作れるかを考えてもいいかもしれない、途中で「これはちがう」といって作ったものを崩してしまうひとよりは、どんな形でも一緒に作り上げられるほうがよっぽど楽しいだろう。人との関わりというのはそういうものかもしれないな。
人の歴史は数千年たっている、根本しそうや人のありかたは完成していると思う。根本的な事をしっかり固めていきたいなあと思う日々である。