介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『認知症の理解のアプローチ。僕なりのとらえ方をしてみた。』

認知症というのはこれまでの人生で獲得してきた、精神活動、社会活動が出来なくなってきてしまっているモノと考えるとわかりやすいかもしれない。記憶、判断力、知的機能の低下、日時や場所が分からなくなってしまうという事である。精神的な年齢が下がっていたり、子供に戻ってしまったと思うほうが理解しやすいかもしれない。僕たちだって幼い頃にはどこかわからないけど連れていかれたり、日付や時間の概念なんあまりなかったんだから。発達障害のような考えにもあてはまるかもしれない。認知症発達障害は両方とも、現在の社会生活に対して何らなの支障があるという事である。考え方を変えれば、今現在の社会の常識にあてはめなければ何ら問題もない事だとは思う。つまりは今の社会が作り出した区分けに過ぎないんだろうと考えている。人は何かしらの発達の遅れだったり知識の遅れを経験しているはずだし、それが原因で心を痛めたりしていると思う。なので人は発達の遅れを感じているわけだし、僕も何かしらの不都合を感じている。「まあ、みんな発達障害ならなんてことないか」くらいで割り切っていいと思う。自分は自分、他人は他人でそれでいいはずだ。ただ、それが簡単にできないから人は生きずらさというのを感じてしまう事があるんだよね。つらいことである。認知症の人が集まれば同じような社会が出来上がって、認知症という概念すらなくなるのでもしかしたら、その方がうまくいくかもしれないと思ったりする。構いすぎるのも本来持っている力を発揮できなくなる可能性もあるだろう。

認知症は医学的には脳の病気でもある、アルツハイマー、レビー小体型、血管性障害、正常圧水頭症などがあり、治療可能なモノもあるとのことである。本当に治療可能かというと多分正しくいうと、治療してある程度は元に戻せるであって100%まで回復するわけではなく、何かしらの後遺症は残ると思っておいた方がいいはず。脳が損傷するので、どこかしらの機能が落ちるのは当たり前の結果である。ただ、学生の頃に脳の機能についての講義を受けた時に、脳機能が回復するという事例もあるとの映像資料を見たことがあるので、全ての期待は捨てなくてもいいとおもうんだよね。脳の失われたニューロンが時間をかけてつなぎ方を変えて、機能を補完して言うということである。脳細胞の連続性がうしなわれたら、別の回路につなぎ直すという事らしいが、時間はかかる。ただ、諦めずに立ち向かっていれば機能の改善はあると僕は考えているんだ。その映像の真偽についてはおいておくが、人の可能性についてはまだわからないことだらけだし諦めなくでいいとおもうんだ。