ナイチンゲールによる看護、ウィリアムズによるソーシャルワーク(介護)を比較する形で分かり合えないという事を考えてきた。
色々とナイチンゲールやウィリアムズの生い立ちや歴史、業績にふれると、貧富の差やいわゆる身分の違いも浮き彫りになったように思える。
時代的には戦争に行けるのは裕福家柄。そして、そこで看護を受ける。
貧乏な家庭は戦争にも行けずに仲間うちで分け合って生活をするというような、今の僕たちには想像が出来ないような大きな差があるように思えた。
裕福な人間は看護を受けられて、貧乏な人間は介護(ソーシャルワーク)を受ける。
というような社会構造があること。根本的に身分の差、貧富の差から生まれたようなものなので、価値観が違うのが当たり前なので、分かり合えないという事になる。
ただ、それが今もどこかに残っていて、看護師と介護士が分かり合えない壁のようなモノを作り上げてしまっているのではないかと考えられる。
かなり強引な切り口で看護と介護の違いというのを検証してみたが。強引過ぎて途中でやめようかとまよったが、とりあえず書ききれたので良かったと思っている。
それにしても、ソーシャルワークが介護に変化しているのも違うかもしれないし、もしかすると看護の中から慈善活動をする人がふえて、その一端として介護が生まれたかもしれない。
時代と共に看護と介護の区別がごちゃごちゃになってしまい、なんだがよくわからないが対立してしまっている、分かり合えないという事になってしまっているのかもしれない。
仮ではあるが、看護とソーシャルワークは別の出発点から始まっているという事は分かったように思える。宗教の存在は切り離せないのも確信できたので、総じて良い経験になった。
ソーシャルワーク=介護と扱っていたが、慈善活動やボランティアのようなもの、家族介護、近所での見守りというような側面で考えさせてもらった。
ソーシャルワークというのが介護の実践をするのかと違うという意見になると思うがそこはかなり大雑把なくくりにしている。
ナイチンゲールって「結構引きこもってたのかな」「家柄のせい?」「頭良すぎでしょ」とか少しナイチンゲールの考えに寄り添えたような気もしている。ウィリアムズにナイチンゲール嫉妬されていたのかを聞いてみたい。
2人とも200年も前の人物なので研究しつくされているはずだし、文献もいっぱいあると思うの正しい情報でひも解いていければと思う。
分かり合えないという根本は何かを突き詰めていったものなので、看護師や介護士を否定しているモノではありません。どうかご了承ください。