介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『価値の追求:100均から始まる成長の物語』

100円均一でモノを買うようになると、だんだんと価値の基準が100均よりになってくるんだよね。「100均で買った方が安い、なにやってんの」という会話が成り立ってしまうんだよね。そもそも、100円が安いのかとおもうがそんなに安くはないんだ。100円って安いのだろうか。僕が子供だった頃は100円持っていれば金持ちであった、200円なんて持っていれば富豪である。まあ、駄菓子屋での買い物の話なのだが。100円のジュースをうまそうに飲むやつをうらやましい目でみながら、10円のヤッターメンが当たる事を期待したり、10円ガムのあたりが出るのをねらうのだ。今思えばとても幸せな時間を過ごしていたとおもう、10円、20円で自分の人生が変わってしまうと思い込んでしまうのだ。10円でうまい棒が食べられれば幸せなのだ。母親からすれば100円で子供を丸めこめるんだからいい話である。今の私が母親と同じ立場であれば「なんて馬鹿な子だろう、まんまと策にはまりおって」と子供の背中をみながら愛情いっぱい溢れた視線で、遊びにいく我が子が出かけるのを見送るだろう。

モノの価値観は年齢によってだんだんと広がってくる、どちらかというと高価になっていくのだ。勉強に必要な道具も100円では買えなくなってくる。「100円おくれ」とせがむ頃が懐かしくなってくる。ものは考えようである。100円あれば今でも十分に楽しむことは可能である。100円で買える野菜だっていっぱいあるし、それを調理することで価値を何倍にも出来るのである、この際なので光熱費は無視をする。

何に価値を求めるのかは考えかたしだいである、どうしても大人になれば高価なモノ、いいものが欲しくなってしまうが本当に欲しいものなのか自分にとって価値があるものかを考えて選択していくことがより幸せになれる手段である。子供の頃の駄菓子屋がその象徴なのかもしれない。あの頃の100円はいまの1万円と同じ以上かそれ以上の価値があったのだ。成長するにしたがって世間の価値観や価格に飲まれて行ってしまう。100円は価格であって価値ではない、ただの物差しなんだよね。

100均の物はやっぱりそれなりであることも知っている、ちゃんとしたものを買えば満足するのだ、100円だからと不要なモノを買いすぎてしまうので余計な出費になる。買い物をとおして子供達に色々と伝えることができればとと思うが、それはかなわないのであきらめている。手に入らないものは追い求めるだけ無駄である。今後その機会があるかは不明だがそんな機会がめぐってきたら一緒に買い物を楽しみたいと思うのだ。お金では買えないものは世の中にいっぱいある。

(タイトルはAIでの生成である。だいぶ盛っている気がするが、なんだが壮大な物語が始まりそうでワクワクしたのでそのまま採用した。)