介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『カフェで過ごした。見た目の印象の事』

最近の休みはカフェでの時間を過ごす様にしている。

まあ、実際に今もスマホで…打ち間違いをしながら、フリック入力をつかって書いているのだ。

パソコンでもそうなのでが、打ち間違いのなんと多いことか、人生の半分くらいを打ち間違いに使っているのではないかと思うほどに間違うことがあり、デリートをしたりする。人生の半分とは言い過ぎかもしれないが、人生の半年分くらいは一生で使うかもしれない。

無駄を減らすなら、入力の精度をあげるべきである、うん、これは間違いがないことだ。

 

カフェにいるとは言っても、地元の大衆的なチェーンてんなので曜日、時間帯によってもいる人は様々だ。

勉強する学生、社会人、何やら怪しげなムフフを広げている真面目そうな中年男性、動画とゲームにいそしむ若者、本を読む、夫婦で話をしていたり、友達同士で話をしている若い年代や、同窓会なのか年配の方まで。デイトレらしいことをしている人までいる、競馬新聞を眺める定年予想師。

曜日や時間帯で人の入れ替わり、リズムというのがあるんだなぁと思うわけだ。

 

月曜~金曜日までの仕事をしていた頃には気はがつかなかった事だから、世間をみる目が変わったんだと自負している。

人間観察が好きなのかもしれない、気持ち悪いといわれるかもしれないが周りをみて考えてしまうのは性分なので仕方ない。ドラえもんが反射的にポケットから秘密道具をだしてしまうような事と一緒だろう。

 

成功者はカフェでの時間をというが…そうなるとここに来ている人たちは皆成功者となってしまう、あるいみで、自分の幸せの時間を過ごせるのだから成功者と言えなくもない。

 

それぞれ、自己実現のために数百円を払って、集中できる時間を買っている。費用的には効果はあるとは思う。

実際、家では誘惑が多いので、それを排除するために頭のリソースを使うよりは、無い環境にいった方が時間を無駄にしないですむ。

場所、環境を変えるというのはよい方法だろう。

 

色々とみてきてふと「無駄な努力」という言葉が浮かんだのであった、それはパソコンを前にし何かを書き写しているような事をが一瞬目に入った。その彼の風貌がというかオーラみたいなのがネガティブに見えたのだ「とうとう、人のオーラが見えるようになったか」とウキウキしてしまったが違うと反省をした。

と言うよりは、人はかなりの割合で見た目、印象で判断をしてあるということだ。

思い出すと、職場で不機嫌そうなのがいると、一瞬で「ヤバイ」となって距離を開けたくなって、一生近くにヨッテくれるなとなるのである。

逆に言えば見た目でかなり相手の印象や行動を操作してしまえるということにもなる。

 

可愛い子供、可愛い動物は恐ろしい武器を持っているのだ。人は騙されてしまうし、それを幸せだと感じる。

まあ、子供に関してはどんな事があっても味方であるという立ち位置は変わらないが。

 

見た目、態度、振る舞いというのはスゴい力を持つんだなぁ、皇族の方々はスゴいのだと改めて感じる。

 

印象とは生活、生き方の習慣からしか身に付かないが、多少は取り繕える。その張りぼてが剥がれない内に内面も磨きたいものだ。